先日「パリ狂騒の1920年代」なるドキュメンタリーをBSで観た
この番組のすばらしいところは貴重な映像をカラー化して放映しているところだ。ジョセフィン・ベイカー、モンパルナスのキキ、レオナール・フジタなどのスターや享楽に溺れる市民や移民、貧困層や戦争被害者の悲惨な日常が実に生々しく、そして鮮やかに映し出されてる。
1920年代のパリは、第一次世界大戦と世界恐慌の狭間の時期で、束の間の反映を享受していた。エコール・ド・パリだとかキュビスムだとか、シュールレアリスムが幅を効かせていた時代に、フォーレはまだ生きていたのである。
フォーレが生まれたのは1845年、つまり二月革命の前である。
1870年の普仏戦争では軽歩兵として従軍している。彼の職は長らく教会オルガニストだった。ワーグナーに傾倒してドイツに足を運んだこともあった。38歳で結婚。50歳を超えて音楽院の教授になる。そして、60歳でパリ音楽院院長に就任。ところが聴覚に障害が生じ始め、1920年に聴覚をほとんど失ったため、院長の職を辞するすることとなった。そんなフォーレの1920年代である。
しかしそれでもフォーレの健在は明らかだった。今回聴いたピアノ五重奏曲第2番ハ短調作品115は1921年に初演され、P.デュカスに献呈されている。編成が五重奏くらいまでくると、フォーレにとっては大編成の部類に入るかもしれない。私の感じる限り音圧の高さは最高潮である。そして、4楽章構成も堂に入っている。2楽章を速く、3楽章をゆったりと濃厚に歌うフォーレの様式だ。
出だしは感動的なヴィオラの旋律で始まる。物悲しくも内に熱量を感じさせる円熟の台詞回しで、それが古典的な形式感を保ちつつ壮大に膨らんでいくので充実感が高い。続く第2楽章は目が回ってしまうそうな、旋回する旋律が駆け抜けていく無窮動感がたまらなく素敵だ。ここらで、例のヴュイエルモーズの言葉を出しておこう、彼は「若さと清澄さという、通常は相容れない2つの美徳を結合するという逆説的な価値を持っている」と作品を評している。第3楽章のすべてを悟ってしまったやさしさのようなものは、若者には書けないだろうし、フォーレの人生が書かせた真の円熟なのかもしれない。
1924年、フォーレは死んだ。
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