ボヘミアとは何処だろう?
調べるとチェコの西側半分をボヘミアと呼ぶらしい。
一方東側半分はモラヴィアと呼ぶ。
18世紀後半に活躍した作曲家ハインリヒ・イグナツ・フランツ・フォン・ビーバー(1644‐1704)は、ライヒェンベルク生まれ。今の地名に直せばプラハの北に位置するリベルツあたり。つまりボヘミア。
地理的に見れば、エルツ山地を越えればシュッツが活躍していたドレスデンにも近いし、ポーランドもすぐそこといった位置である。
ヴェルナー・ヤクシュの解説によれば、ビーバーは北ではなく南、つまりカトリック圏を目指した。地元で学んだ後はウィーンへ出てシュメルツァーに師事している。そしてモラヴィア中部のクロメジージュの伯爵の下で数年間働いた後、1670年にザルツブルク大司教マクシミリアンに雇用され、1684年に楽長に就任。1690年には皇帝レオポルト一世から貴族の称号を与えられるまでに上り詰めた。
ドイツ語圏で活躍したビーバーだが、カトリックの文化の中で育った環境からか、彼の音楽は概ねイタリア的である。当時を代表するヴァイオリンのヴィルトゥオーゾであった。カンタービレの美しさはコレルリにも通じているように思える。でも一般的なイメージからするとビーバーの凄みは美しさではなく、ヴァイオリン音楽における「激しさ」「表現力」「技巧性」といったところであろう。
代表作《聖母マリアの生涯からの15の秘蹟(ロザリオのソナタ)》(1676?)は、バロック・ヴァイオリン奏法の見本市である。調弦を変えるスコルダトゥーラの例にも頻繁に登場する。
コレルリの名前を先ほど出したが、バロック中期から後期にかけて先頭を走る音楽家たちが形式的な統一やその整備を目指していたことを考えると、ビーバーのような過渡的な作曲家はもっと自由な発想力で勝負しているように思える。ロザリオのソナタは16曲のソナタがそれぞれ違った楽章配列になっている。ジーグで終わることもあればサラバンドで終わることもアリアで終わることもある。そして、即興的なのが何よりおもしろい。ドゥーブル、チャコーナ、パッサカリアといった変奏曲が多いので名手は遺憾なくテクニックを披露できる。そこにコンティヌオが加わるとまるでバンドマンのようだ。
さらに宗教音楽は壮麗だ。ザルツブルク大聖堂には4つのオルガン・バルコニーがあって、ビーバーはそれぞれのバルコニーに音楽隊を配置して、ヴェネツィア発祥の分割合唱様式を巧みに取り入れた。ミサ《キリストの復活》(1674)では、二重合唱にプラスしてマドリガルのような独唱の対話を聴くことができる。ダ・カーポ的な形式感も薄いので、急激な曲調の変化がエキサイティングだ。ベートーヴェンの《ミサ・ソレムニス》における「グロリア」などは、バッハやヘンデルよりも、むしろこっちの世界に近いと感じることもできよう。
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