バッハにとってのカンタータ(本人がそのように呼んでいたかはわからないが)は、総合格闘技、すなわち何でもありのジャンルであった。イタリア発祥の簡素な世俗音楽がプロテスタント教会にもたらされて以降、本来のカンタータに尾がつきヒレがつき、モテット何だか、オラトリオ何だか、はたまた何なのか分類も曖昧な中、とにかく古今の諸様式がそこに詰め込まれていった。そしてコラールを冒頭や最後にくっつけて教会音楽としたのである。
バッハはそんなカンタータとコラールの有機的で立体的な結びつきを創作の当初から目指していた。BWV77はライプツィヒ赴任初年度に作曲された多くのカンタータの中でも、柔軟なコラールの使用が見られる作品のひとつだ。
《あなたの主である神を愛しなさい》という題名が付いているが、これは「隣人愛」がテーマとなった内容となっている。
その中心となるのはルカの福音書より、ユダヤ人にイスラエルの血を汚したと迫害されていたサマリア人が、道端に倒れた者を心優しく助けたという出来事をイエスが律法学者に話したという「善きサマリア人の譬え」である。
冒頭合唱の緻密さは本当に素晴らしい。トロンバ・ダ・ティラルシ(Tromba da Ttrarsi)による、ルターのコラール《これぞ聖なる十戒》が綿密な合唱フーガと重なりあう。「十戒」になぞらえて、10の音符からなる4度の順次上昇音型を伴う定旋律が10回繰りかえし出てくる。これは隣人愛の理念が十戒の掟と堅く結びついていることが暗示されていると解釈できる。また器楽、合唱のフーガ主題は4度の上昇音型から始められるため、コラールの音型から取られていると解釈できる。
第3曲のアリアは2本のオーボエが平行音程で動く「神への愛の告白」。でも短調のソプラノの歌は垢抜けない表情をしている。
続くレチタティーヴォで「私」は「神」に「サマリア人のような心」を要求する。「恵んでください。私が自己愛を憎むように」と。
そして、第5曲のアルト・アリアで「私の愛は不完全」だと深く嘆く。ここでは、トランペット(Tromba)のソロが不安定な旋律でアルトの心の内を表す。バッハの自筆譜では最後のコラールの歌詞が指定されていないため、本来のオチはわからないのだが(鈴木、コープマン、ガーディナーのCDを聴くと三者三様のコラールである)、いずれにしてもこのカンタータでは「隣人愛」に悩む「ある信者」を通して説教の意味を説いていると言えるだろう。そして、コラールの導入により効果的に隣人愛が掟であることが強調されているのである。
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