メゾチントとは凹版画(おうはんが)の技法のひとつである。
凹版画には直接法(ドライポイントなど)と間接法(エッチングなど)があり、それぞれに特徴があるが、直接法に属するメゾチントは、銅板の表面にベルソーという道具を使って、まんべんなく溝を刻んでいく(「目立て」という)根気のいる作業がいるため、あまり一般に普及しなかった技法だといえる。それでもメゾチントに魅せられた作家はいて、日本の長谷川 潔や浜口 陽三らの功績により、他では得難い黒の色調が見直され、今でもメゾチント作家は静かに存在している。
丹阿弥丹波子(たんあみ にわこ)はその第一人者である。
丹阿弥丹波子は1927年東京生まれ。父は日本画家で幼心に「人間はみんな絵を描くものだ」と思い込んでいたという。母はモダンな女性であり、娘の教育にもその精神が反映された。戦時中にもかかわらず自由な雰囲気を持った文化学院で丹波子を学ばせたのである。文化学院が自由主義弾圧により閉鎖になった後は、高田馬場の研究所でデッサンを学んだ。
東京大空襲が起こり、一時的に信州の下伊那に疎開。弁当箱工場に微用され、木材を削る作業に就いた。下伊那には開善寺という禅寺があり、絵描きのデッサン部屋として開放されていた。丹波子もそこに置いてあった石膏像(カラカラ帝)を木炭でデッサンしていた。また、闇市にカンバスを買いに行ったりもしていたという。
1950年に東京に戻り、信州で描いたものが独立展や女流展に入選する。そのころに長谷川潔や浜口陽三の作品と出会い、多きなショックを受けた。これ以降、丹阿弥丹波子はメゾチント作家として歩みを始めるのである。
2015年春にミュゼ浜口陽三・ヤマサコレクションで開催された〈浜口陽三・丹阿弥丹波子二人展 はるかなる符号〉で、私は初めて丹阿弥丹波子の存在を知り、原画を観た。会場で流れていたインタビュー映像で見た丹阿弥の印象は、ふくよかで上品な優しいおばあちゃん。その姿から、彼女の作品の世界観はとても想像できなかった。
丹阿弥の世界は深遠だ。机の上のビーダマ。コップの中のメダカ。白いヒヤシンス。そらまめ。透明で奥行きのある漆黒の世界とその諧調。白が浮かび上がらせる輪郭と光の質感、構図の妙。
丹阿弥のモチーフに欠かせない「水」と「ガラス」は、光の追及であると同時に、画面に永遠の鮮度と潤いが宿る秘訣だと思う。「花」と「植物」は複雑に入り組み、生命を宿す。
一見シリアスな切り詰められた静物たちのポートレートは、ゆっくりと静謐に生命力を発していて、それが画面の微温へとつながっていく。私はそう思し、それが素晴らしいのである。
会場では2014年の最新作も展示されていた。それは、白く淡い色調の風景がだった。また静物画も複雑な曲線をもった新作が多い印象を受けた。90歳に迫ろうとする恐るべきおばあさんは、今なおメゾチントの先頭を走っている。
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