トーマス・ルフを体験する

  もし、右の写真がアダルト雑誌に載っていたとするなら、男は悶々と不満を漏らして他のおかずを求めるだろう。ピントが合っていないし大事な部分が映っていないのだから。でも、この写真が美術館に飾られているとしたならどうだろう。別の意味で鑑賞者は悶々するのではないか。少なくとも私はそうだった。

 作品の作者はトーマス・ルフ Thomas Ruff。1958年にドイツ・ツェル・アム・ハンマースバッハに生まれた写真芸術界の巨匠である。この秋、東京国立近代美術館で開催された《トーマス・ルフ展》は大盛況だったようで、最終日はチケット売り場に長蛇の列が続いており、私も列に並んだ一人だった。

 1999年以降に制作された《nudes》のシリーズは実際の展覧会ではここで載せたような過激なものはなかったにせよ、やはりモザイクまではいかないまでも随分とぼやけた大きいヌード写真が並べられていた。ルフはインターネット上のポルノサイトから画像を入手して、その画像を加工することによって作品を仕上げている。

 ルフの作品には既存の写真を素材にそれを加工することによって、対象の本質や側面を浮かび上がらせる、あるいは鑑賞者にこれまでとは別の視点を与える作品が多い。宇宙を題材とした一連の作品集である、ヨーロッバ南天天文台の高性能天体望遠鏡のネガを素材にした《Newspaper photos》(1990-1991)や、NASA(アメリカ船空宇宙局)、ESA(欧州宇宙機関)、ASI(イタリア宇宙局)による共同プロジェクト宇宙探査船が土星を撮影した写真に色彩を加えた《cassini》がそれにあたる。

 特に土星の作品に観られる滑らかさと、幾何学的美しさはそれが写真であることを忘れさせる。エド・ルーシェイの絵画にも似た鮮やかなポップさが観る者を引きつける。

 素材という観点から言えば、プリントを作るために不可欠なネガを題材とした《Photogram》の作品群も独特の味わいを醸し出している。神秘的とも非現実的とも思える陰影の怪しい色調ではあるが、これが写真のもとになる素材であり、「写真」になる前の「写真」の生々しい姿が提示されている。

 対象を客観的に捉えつつ、写真の機能とフィジカルを最大生かす作品群の数々はアイディアの宝庫である、その中で初期の《Portraits》《1986-1991、1998》や《Houses》(1987-1991)はシンプルな感動がある。

 ベッヒャー夫妻の伝統の延長上にありながら、縦横2m前後のスクリーンにあまりに普通で、でもまじまじとみるとどこか非現実的なようでもある建造物や人物の顔が映っている。美しいとか醜いとかそういう美的価値観ではどうにも判断がつかないのだが、決して居心地が悪いわけでもないし、つまらなくなっておらず、むしろ深みがにじみ出ている。

 ルフの作品全体に言えることだが、静かな前衛というか、控えめだが、確実に時代の先端で芸術とテクノロジーの間の摩擦を視覚化して見せるビジュアルというか。それが彼の写真表現なのだと私は考えたのであった。

 ちなみにこの展覧会では館内での写真撮影ができたため、カメラやスマホを片手に作品を鑑賞することができた。確か、以前佐倉へ観に行った五木田智央の展覧会でも撮影可だったと思う。とてもカジュアルに美術館を楽しめるし、このような展覧会がどんどん増えていくと良いのではないか。写真がSNSで拡散していくさまや、写真をカメラで撮るというイメージの重複もまたルフの芸術的姿勢と重なって感じられた。