御多分に漏れず幼いころはクリスマスが好きだった。ささやかながら電飾に彩られた小さなツリーが座敷の隅で点滅し、甘いシャンペンと寿司とチキンを家族で囲みながら、訳も分からず何かを祝ったものだった。今となってはそんな田舎のクリスマスが懐かしい。でも、それは間違いなくイエス様の誕生を祝う宗教的儀式である。そのくらいは子供の頃から何となく知っていた。敬虔であればあるほど、救世主の誕生を静かな祈りの中に祝う趣のものもあるだろう。大人になるにつれて、祝うことと祈ることは背中合わせの関係ではないかと思うようになった。
バッハの数あるクリスマス・カンタータにも双方のムードが反映された作品がそれぞれあり、今回書こうと思ったBWV121は、厳粛に始まり、喜びの表現もあるのだが、全体としてキリッとした緊張感が貫かれている、内向的な美しさをもつカンタータである。
第1曲はルター作のコラール。器楽は合唱の旋律と同じように動き、古風なフガートで進んでいく。その中で通奏低音は八分音符で独立して動き、まるで心臓の鼓動のようにどくどくと鳴り、古風な雰囲気にスピード感を付与する。歌詞は、世界の果てに届くほど私たちはキリストとマリアを賛美しましょう、という内容。低い音から声を張らずに、付点やスラーをつけながら2度ずつ上がっていくテーマの出だしの部分が私はたまらなく好きで、厳粛な気持ちにさせてくれる。
第2曲はテノール・アリア。オーボエ・ダモーレとコンティヌオが一瞬4拍子に聴こえてしまう3拍子のリズムで、キリストの誕生にただただ驚きなさいという説教が歌われる。喜びの場面が描かれるのは第4曲のバス・アリアである。歌詞にある「喜びに溢れて飛び跳ねたヨハネ」の様子を描写するかのように、弦楽アンサンブルがポリフォニックに絡みながら、コンチェルトとような疾走感で立派なリトルネッロを形成する。ここでは外向的で技巧的な歌を存分に聴くことができる。
第4曲の中間で「キリストの飼い葉桶へと熱心に向かおう」というところがあるが、続くレチタティーヴォでは、でもどのような心で飼い葉桶を見ればよいのでしょうという問いから始められ、天使の合唱で歓声を上げて賛美と感謝の歌を聞かせてください、という信者の願いのあと、ルターのコラールが三位一体を賛歌し、カンタータは厳粛に閉じる。
切り詰められた編成と充実した書法により語られるルターの旋律に由来するカンタータは、冬の冷たい澄んだ空気にとても似合っている。でも、暖房のない教会で木の椅子に何時間も座りこれを聴くのかと思うと、私にその覚悟があるかどうか?
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