このディスクが特別に素晴らしいのはチェンバロの音色です。使用されている楽器はアンドレアス・リュッケルスの1615年制作モデルに基づくフィリップ・ユモーによる再現製作楽器というアナウンスがされています。私はCDで聴くチェンバロの音色に長らく苦手意識を持っていました。録音のためなのでしょうが、妙にキンキン鳴っていたり、音像が大きかったりして、全然美しくなかったからです。そう感じていました。
しかし、演奏会で生のチェンバロの音を聴きに行けるようになると、CDと全く違う豊かな美音に心打たれるようになり、認識を改めました。そして、もっとチェンバロでバロックの鍵盤作品を聴かなければならないと思ったのです。その後、素晴らしいディスクに出会うことができましたが、このムーランのCDもその一つとして最右翼に置きたいと思います。
このCDでは、爪(プレクトラム)が弦をはじく子音が柔らかく、フワッと音色が広がっていき、こうを描くようにして減衰していく残響が見事に捉えられています。夕刻に差し込む窓辺の温かい光のようです。ハインリヒ・シャイデマン(1596-1663)の楽曲は、どれも儚い雰囲気があり、時代の精神からするとヴァニタスを感じさせます。分散和音から始まるプレアンブルムの物憂い空気が楽器の音色に合っています。ザムエル・シャイト(1587-1654)は、17世紀前半に活躍したドイツの作曲家にしては大変に珍しく「新たな楽譜 Tabulatura nova」(1624)という鍵盤楽器のための曲集を出版した、言わばドイツ鍵盤楽器の先駆的な人物です。解説によると、このCDに収められているシャイトの曲は、クラントを除いてはすべてこの曲集から抜粋されているということです。シャイトは変奏の技法を得意にしており、コラールや舞曲の旋律を基に、一つの旋律をどんどん細かく装飾して音符を弾き変えていく「ディミヌツィオーネ(分割装飾)」という手法で7、8分の曲でもしっかり盛り上げていきます。本ディスクの終曲「〈わたしは傷ついていた、ああ〉によるファンタジア」は半音階から始まってなかなか推進力があります。両者はオランダのスウェーリンクに師事しているのですが、趣味はやや違っていて、シャイトの方が器楽的で和声的に聴こえ、シャイデマンの方は声楽的で対位法的に聴こえます。個人的にはシャイデマンの方が、ある種のアンビエントとして現代に通用する美があると考えています。
最後にヨアン・ムーラン Yoann Moulinの演奏を称えなければならないでしょう。素朴な気品を湛えて、余韻を楽しみ、楽器の音色を最大限引き出している素晴らしい演奏だと思います。
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