この世の中は窮屈で、不平等で、なんだかもやもやする。そんな経済、社会、国家を私たちはどのように変えていけばみんなが暮らしやすくなるのだろうか。著者の松村圭一郎さんはエチオピアと日本を行き来する中で、その自らの問いに対してある考えに行きつきます。問いを説く鍵は「うしろめたい」と思う気持ちだというのです。それは一体どういうことなのでしょうか。
著者は構築主義の考え方から、世の中を捉え直していきます。構築主義とは「何事も最初から本質的な性質を備えているわけではなく、さまざまな作用の中で構築されてきた(p.15)」という視点から出発し、既存の体制や秩序を批判する時に活用されてきた視点だといいます。
例えばジェンダーについて「男らしさ・女らしさ」とは、生まれつき備わっている属性ではなく、ある社会の中で身につけてきたものであると捉える、これが構築主義の視点です。
そんな視点からこの生きづらい世の中を考え直した時に、富める者と貧しい者を調整していく手段に「贈与」すること、言い直すとプレゼント・贈りもをする行為が上げられています。「贈与」の構造は、国家による再分配による不均衡を是正する行為とは違いますし、市場で行われる商品の交換や経済活動とも異なっています。著者はエチオピアで浮浪者の物乞いに、お金を渡す市民の姿を見て日本の社会との違いに戸惑ったそうです。「ぼくらの心と身体は公平さというバランスを希求している。他者とのあいだに大きな偏りを察知すると、人はそれを是正しようとする。(p.168)」と著者は書いています。つまり、人間は本能的に倫理的な側面があり、その属性が「贈与」の行為を生むというのです。それはあの人は困っているから助けなけらばならないと思う気持ちとは異なり、あの人は困っているのに自分は不自由のない生活を送っている、それは申し訳ないと思う「うしろめたさ」からくるものなのです。
私はこのユニークな考え方を興味深く読みました。うしろめたいと思うことはどちらかというと負の感情だと考えていましたが、それが世の中の不均衡を整える鍵になると思うと少し気持ちが楽になります。最後の付け加えれば、著者の論調は決して楽観的ではなく、経済、社会、国家、個人の関係性を慎重に論じています。社会を変えるためには革命的な手段は必要なく、個人が手にしてるものの中にあるという考え方に私は共感しました。
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