J.S.バッハ:マタイ受難曲 BWV244/ラーデマン&ゲヒンガー・カントライ(2020) ACC30535CD

 私はマタイ受難曲と聴く時に、ある不安が頭を過ります。それは「3時間近い大作を集中して聴き通すことができるだろうか」という情けない悩みなのですが、キリスト教徒ではない私にとって、日常生活の中で受難曲を聴くという体験は未だに謎めいた時間であり、他のバッハの作品を聴くことと違い、この作品はやはり特別な重さを感じざるを得ないです。

 気持ちを整えて、時間をに余裕がある時に、意を決して『シオンの娘』が「来なさい、娘たち、共に嘆きましょう」と呼びかける荘厳な音響世界に身を投じるのです。途中で聴くのをやめてしまうこともたびたびあります。当然ではありますが、それはバッハが悪いわけでも、演奏が悪いわけでもなく、単に聴き手としての私の作品への無理解と未熟な感性が原因なのです。

 そんな私が一気に聴き通したラーデマンとゲヒンガー・カントライのマタイ受難曲なのですが、全曲で2時間40分を切る快調なテンポで進められます。このマタイの特徴は、非常に落ち着いていて、まるでドイツ・リートでも聴いているような豊かな声質の歌手たちにより、流れよく歌われる演奏であるという点です。エヴァンゲリストのパトリック・グラールは滑らかで余裕ががあります。大げさに振る舞う様子はなく、「語る」というより「歌う」福音史家という印象です。イエス役のピーター・ハーヴェイは暖かく温和です。ラーデマンは演劇的、劇的な味付けをほとんど加えません。また、シリアルになることも少なく、全体的に安心感のある響きが続いていきます。ゲヒンガー・カントライは最近になり古楽器で演奏していますが、演奏スタイルはいい意味でも中庸で、「古楽ですよ!」という主張がほとんど感じられません。それでいて古楽の透明なニュアンスが好印象です。オルガンの響きがよく聴こえ、アンサンブルの重心は低く、全体的に落ち着いています。

 求心的な演奏ではないし、何かの個性を押し出そうとする姿勢は見られません。それもまた良さだと感じます。聴こえて思ったのが、個々の音楽の繫がりがとても自然で流れていたということです。真面目に、実直な姿勢で長く活動していた音楽家たちの経験がなせる信頼のできる音楽です。リリングの創設以来(1953年)バッハを核として演奏してきた団体の伝統が楽団の身体性となり、滑らかな繫がりある演奏になったのでしょう。ひとつ印象的な部分を上げさせてもらうと、第2部の最初(第30曲)なんて、大変に爽やかでアルトと合唱の調和の取れた対話が魅力的です。個々のコラールの丁寧な歌いこみにも心打たれます。合唱の明晰な発声と、厚みはあるが雑味のないハーモニーがドイツの音楽の神髄を聴かせていました。

 ブックレットの写真からは、コロナ過での録音ということで、奏者と歌い手が距離をあけて演奏する録音風景が掲載されていました。それによる演奏への影響はあったのかもしれませんが、十分に質の高い録音だと思います。

 そして、CDジャケットの絵画はDieter LadewigのUntitled(2005)という作品だということです。アートワークの美しさに見入ってしまいました。